日本に漢字が入って来たのは、何時ごろなのか。600年に遣隋使がはじまり、菅原道真が遣唐使制度を廃止する894年までに、中国から持ち帰った漢字の読み方を漢音と言います。この漢音の渡来以前は、大和言葉(和語、倭語とも言われる)があり、漢字はあった。現代では、音読みには呉音、漢音、唐音があるが、漢音が入ってくるまでは、呉音だけであった。この呉音が大和言葉である。漢音が入って来て、その漢音読みに対して、今までの音読み大和言葉を呉音と言った。
 数字を数えるのにいち、に、さん、しいと数えるがこれは呉音である。また、仏教用語、律令制度、古事記、万葉集等も呉音(大和言葉)である。この呉音は、何時ごろ、何処からとなるが、取りあえず、仏教の伝来を見てみると、紀元前五世紀ごろ釈迦によって、インドのカシミール地方で仏教が生まれ、この仏教がミャンマーやタイ等の東南アジアに伝わって、小乗仏教になり、北方のチベットに伝えられ、密教になり、一世紀頃には中国に入って、三国時代の蜀、魏の国で、仏教が盛んになり、南北朝時代の斉や梁を経て、隋、唐時代に大乗仏教になっていった。この仏教が日本に入って来たのが、5世紀頃、朝鮮半島の百済からと言われている。この頃、日本では、欽明天皇の時代の仏教の伝来と任那の滅亡から、推古天皇時代をはじめとする飛鳥時代となる。では、呉音は飛鳥時代に中国から渡来したのだろうか。三国時代の呉の国まで遡れないか。日本で言えば、神功皇后の時代まで。
 呉音(大和言葉、和語)を考えていて、万葉集の歌人柿本歌麿を輩出した和邇(ワニ)の部族の出身だが、ワニの部族は朝鮮半島から来たワイ族。平安時代には、すでに日本人として同化していたのだろう。やはり、オオヒルメやワカルヒメが中国の春秋戦国時代の呉越の国のあったことが気になるし、呉音は揚子江近辺の民族の影響を受けているのかな。

2010年5月19日



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